泡沫の逃避行

1人旅の帰り道に乗った特急列車の、その車窓から外を見ると、美しくて、どこか気の抜けた田園風景が今まさに時速150kmで駆け抜けては消えていく。
そんな様相が目に映り僕は戸惑う。
列車とは、もう少し優雅で気長な乗り物では無かったのか。そのスピードは時間の代償に僕の心の安らぎを平然と奪っていった。
東京に戻れば、また毒気の抜けない日常が僕を忙殺しにくるだろう。座席に座りながら呑気にビールなんぞ飲んでいる僕は、今まさに時速150kmで忙しなく当てもなく過ぎるあの「日常」に突き落とされているのだ。
 
ローカル線で行けばよかった。
もう少しのんびりと、この風情を、この景色を、この麦酒と一緒に楽しみたいものだ。
 
僕は車窓から見える景色を写真に撮って「哀愁」などと形容してみる。
家屋の庭に並べられた洗濯物が風になびいて揺れた時、僕はふと我にかえった。
僕が無責任に「哀愁」と呼ぶその景色は、彼らにとって何の取り柄のない「日常」なのだ。
あの家屋たちは決して「哀愁」などではなく、寒さや外敵から身を守るための「壁」に過ぎないのだ。
 
「日常」に突き落とされながら「日常」を眺めた時、その二つの「日常」がまるで重なって見えた。
今、目の前を通り過ぎる「日常」もきっと毒気の抜けない、当てもない「日常」に違いない。
となれば、僕に逃げる場所なんてない。慌てて残りの麦酒を喉に放り込んだ。
泡沫の逃避行が今まさに終わろうとしているのだ。